2019年9月30日月曜日

修復前の写真2








1925年製GROTRIAN STEINWEG グランドピアノ2m20
修復前の写真です。

2019年9月28日土曜日

修復前の写真1






1925年製GROTRIAN STEINWEG グランドピアノ2m20
修復前の写真です。

2019年9月26日木曜日

ピアノ搬入







1925年製GROTRIAN STEINWEG グランドピアノ2m20
トラックに乗っていた時間は5分程度、すぐに工房へ着きました。
梱包したと思ったらすぐに開梱、運送屋さんにはお手間をおかけしましたが、大切なピアノですので丁寧にやってくださいました。
工房に入ると、どっしりとしていて存在感の大きなピアノだと感じます。
いよいよこれから修復が始まります!

ピアノ搬出












1925年製GROTRIAN STEINWEG グランドピアノ2m20
北軽井沢ミュージックホールから搬出され、同じ北軽井沢にあるピアノ工房へ搬入されました。
専門の業者さんが4人がかりで丁寧に運んでくださり、お天気にも恵まれ、無事に終了しました。
このピアノは、おそらく50年ほど前にミュージックホールへ運ばれてから、一度もホールの外へ出たことがないと思われます。
久々に外の景色を見たかもしれませんね。

2019年9月22日日曜日

グロトリアン・スタインヴェーグについて



グロトリアン社は、1835年ハインリヒ・エンゲルハルト・スタインヴェーグ(後にアメリカへ渡りスタインウェイ社を創設した)により、ドイツのゼーセンで創設されました。
1850年スタインヴェーグ一家は長男のテオドール・スタインヴェーグにピアノ工場を任してニューヨークへ移住しました。
1856年フリードリッヒ・グロトリアン(ドイツからモスクワへ行きピアノ販売事業を手がけた後帰国した)がパートナーとして加わり、1857年にピアノ工場をブラウンシュヴァイクへ移しました。この街で今日までピアノ製造を続けています。
1865年テオドール・スタインヴェーグは、会社の株式をヴィルヘルム・グロトリアンと共同経営者たちに売却し、ニューヨークへ渡りました。
ヴィルヘルム・グロトリアンは、ヴィリとクルトという二人の息子を海外(アメリカ、フランスなど)へ送り出し、ピアノ製造を学ばせました。
「息子よ、良質なピアノを作りなさい。そうすればおのずと結果はついてくる。」というヴィルヘルム・グロトリアンの残した言葉が、現在でも社訓として受け継がれています。
そして19世紀の終わりには、グロトリアン社はドイツのトップピアノ製造会社に数えられるようになりました。
第二次世界大戦中、軍事部品の製造を命じられたグロトリアンの工場は、1944年に爆撃され完全に破壊されてしまいました。
その後、クルト・グロトリアンの息子のエルヴィンとヘルムートが不屈の精神で工場を再建し、1948年までに生産は再開されました。
今日もドイツのブラウンシュヴァイクで製造を続けていますが、2015年香港のパーソンズ・ミュージック・グループがグロトリアン社の株式の大半を取得し、製造過程の一部を中国でも行うようになっています。

グロトリアンピアノの音色の特徴は、甘い音色とシンギングトーンと言われています。
音楽を愛し、楽器作りに情熱をかけてきたグロトリアン家の技術者たちが目指すのは、人の声が歌うような音色作りでした。

今回の修復により、グロトリアンの歴史を背負うピアノが、甘い音色とシンギングトーンを甦らせることができるようにと、願っています。


2019年9月20日金曜日

修復師自己紹介


こんにちは。ピアノ修復師の和田明子です。
北軽井沢にピアノ修復工房を構えているご縁で、この度私がミュージックホールのピアノを修復させていただくことになりました。
私は、25歳から調律の勉強を始めました。調律師としては遅いスタートでした。
古い楽器に興味を持ち、京都の森田ピアノ工房で1年余り研修させていただいたことが、ピアノ修復の世界への導入となりました。
何も知らず何もできなかった私でしたが、修復の現場に立ち会わせていただき、その仕事の奥深さを目の当たりにして、修復の仕事に携わりたいと思いました。
その後、縁あって渡仏し、パリのピアノバルロン修復工房で1年の研修の後、社員として9年間働きました。
私と同年代の女性修復師であるシルヴィー・フアノンさんから修復を学び、多くの実戦経験をさせていただいたこと、フランスの伝統文化に触れられたこと、人種を超えた人付き合いの中で学んだことなど、10年間で得たことははかり知れません。
そして、2011年に日本へ帰国し、2013年に北軽井沢に工房を開くことができたのは、画家である夫のおかげです。
修復師として独立することなど考えていなかった私を応援してくれました。
ずっとシルヴィーさんと二人三脚で仕事をしてきましたので、一人で修復の全てをできるとは思っていませんでしたが、やってみると何とかできました。
人間、何でもやってみなければわからないものです。
今、北軽井沢で修復を始めて6年が経ちました。ピアノ修復を通しての学びはずっと続いています。
いつも新しい挑戦、失敗の繰り返し、一台一台違う個性を持ったピアノを完成させる喜び・・・大変なことも多いですが、家族とそして北軽井沢の自然に癒されながら、仕事を続けています。
北軽井沢ミュージックホールのグロトリアンのピアノも、私の新しい挑戦となります。
多くの人々の思いが込められたこのピアノは、きっとこのピアノにしか出せない音色で歌ってくれることと信じています。
ピアノ修復は、修復師がピアノを作るのではなく、そのピアノの持っている個性と可能性をいかに引き出せるかが大切だと思っています。
ピアノが自然体で歌えるように環境を正しく整えてあげること、それだけで、歴史あるピアノは素晴らしい音を奏でてくれます。
ではそのピアノの自然体とは何か?修復しながら観察し、ピアノと対話し、判断していきます。

ピアノは、9月26日にミュージックホールから私の工房へ運ばれます。
どうぞよろしくお願いいたします。

2019年9月18日水曜日

北軽井沢ミュージックホール ピアノ修復プロジェクト 開始






1925年製GROTRIAN STEINWEG  グランドピアノ2m20

この度、北軽井沢ミュージックホールに古くから伝わるグロトリアン・スタインヴェーグのピアノ修復が、多くの皆様の寄付により実現することとなりました。
それは、ミュージックホールの運営を支えるサポーターズの方々の要望にホールの所有者である長野原町が応え、ふるさと納税型クラウドファンディングで寄付者を募り、多くの方々の賛同を得て今日実現の運びとなったものです。
クラウドファンディングのサイトはこちら(現在も寄付を受け付けています)

そのピアノが近々私の工房へ運ばれ、修復を開始することになりました。
皆様の温かいご支援のおかげで修復されるピアノを最高の状態に甦らせることが出来るよう、できる限りの努力をしていきたいと思っています。

北軽井沢ミュージックホールは、音楽教育家、齋藤秀雄さんの呼びかけで1968年に完成した日本で初めての音楽学生のための夏季合宿施設として始まりました。
オーケストラの練習ホールを備えたこのような施設は当時ありませんでしたから、音楽学生にとって大変貴重な場所でした。
現在は、音楽セミナーや夏のミュージックフェスティヴァルの会場として利用され、毎年様々な音楽が奏でられ、人々を楽しませてくれる場となっています。

グロトリアンのピアノは、たくさんの音楽学生たちに使用された歴史を持っています。
その証拠に、アクションや鍵盤には多くの消耗が見られ、外装にも傷跡が残っています。
しかしここ何十年かは老朽化したピアノは使われなくなり、ホールの隅に置かれたままでした。
そのピアノに注目し、何とか復活させられないかと考えた方々は少なくなく、その思いを受けてサポーターズが実現に向けて動き出したのがきっかけで、今日まで進んできました。
完成予定は来年3月で、夏頃にはお披露目コンサートが行われます。

さて、これからの仕事は私の手に任されましたので、緊張しています。
大変質の高い一流ピアノですので、しっかりとした修復作業を行えば必ず素晴らしい音が甦ることと思っています。
愛情いっぱいの目で見守って下さっている皆さまに、このブログで随時進行状況をお伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ピアノバルロン・ジャパン
和田明子